吹雪のなかから
 
 トンネルを抜けた先には、真っ白な光景が広がっていた。
 ただ白いだけではない。厳しい環境であった。雪は、上ではなく横から殴りつけるように降ってくる。凍るような寒さに加え、常に強風が舞い、視界は遮られ、足もとは積雪に埋もれ、あたかも人間の立ち入りを拒んでいるかのような過酷さだった。
 「寒いわね。もっと厚着してくればよかったわ」
 己れの肩を両手で抱いて、ゼシカはいった。現在の気温はいかほどであろうか、すでに指先の感覚はない。
 「これじゃあ武器も握れねえ。魔物が襲ってこないように祈るしかないでがす」
 両手に息を吹きかけながら言ったのは、ヤンガスだった。
 「黒犬の奴、こんなところに逃げ込みやがって・・・・兄貴、この先に本当に町なんかあるんでがすか?」
 「ごめんヤンガス、確認しようにもこの風で地図が開けないんだ」
 エイトが顔をしかめて振り返る。
 「ってえと、とりあえず道なりに進むしか・・・・うう寒い!」
 例の呪いの杖を持って逃げた黒い犬を追いかけて、やってきた場所は、とんでもないところだった。
 吹雪はいっこうにおさまる気配をみせない。逆に、激しくなる一方である。自然はある意味、魔物より手強かった。
 「ゼシカ」
 「何?」
 そんなすさまじい天候の中だった。ごうごうと鳴る風の間から呼びかけてくる声をつと耳に挟んで、彼女はふり向いた。
 (え?)
 同時に視界の端に見えたのは、周囲の風景とは対照的な、鮮やかないろの服だった。誰のものかは問うまでもない。
 かすかに温みの残る外套が肌に触れる。むき出しの肩を、柔らかい感触が包んだ。
 「ありがとう、っていいたいところだけど・・・・」
 そばにやってきた長身の青年を見上げながら、彼女はすぐさま、自分の身体を覆う男物の朱色の衣をはずした。
 「・・・・遠慮しておくわ。あんた、またろくでもないこと考えてそうだし」
 突き返すように、元の持ち主にむかって外套を差し出して強制的にその手に握らせる。さすがに、これがあんた以外のひとだったら、好意をありがたく受けとっているところだけど、とまでは口にしなかったが、いくら寒かろうと、自分だけ、ひとに服を貸してもらってまで着用する気にはなれなかった。
 相手の眉がわずかにゆがむ。拒否されたのが予想外だったのか、あるいは気分を害したのか。
 早速言葉が飛んできた。
 「ひでぇ言われようだな。雪の中でふるえている女性を放っておくのは、俺の美学に反するんだよ。いい加減認識改めてくんね?俺は聖堂騎士だぜ。女性を守るのは騎士の役割なの」
 「相変わらず、聖堂騎士の聖堂、の部分が抜け落ちてるわね。認識を改めてほしかったら、まず自分自身を改めなさいよ。それにそんな凍えそうな顔で役割だ美学だなんていわれても、説得力ないわ」
 「男心をまったくわかってないな、ゼシカ」
 「それは男心じゃなくてあんたの理屈でしょ?」
 「あーあ、このくそ寒いのに、二人ともいい加減にしやせえ!だったら、ゼシカの姉ちゃんだけでも、馬車の中に入ったらどうでがす?外にいるよりゃあ、ちっとはましだ」
 見るに見かねたのか、ヤンガスが折衷案を出してなだめにかかる。
 寄ると触ると、言い争いに似た会話がはじまるのは日常茶飯事、わかってはいる。だが何もこんな吹雪のなかにおいてまでやることはないだろう、とその特徴的な三白眼はいっている。
 「折角だけどそれはできないわ。ミーティア姫様の負担が重くなるだけだもの」
 「うむむ」
 ゼシカの即答。反対に説得されてもっともだと思ったのか、頬に傷をもつ提案者がうなって黙り込む。
 (ったく、頑固だな)
 会話の途絶えた雪中でククールはおもった。意志の強いことは当初からわかっていたけれど、角度によっては強情をはっているようにも見えなくはない。
 「負担って言ったって、そんなに体重を気にする必要はないぜ。醜いほどデブなのは考えもんだが、ゼシカはじゅうぶん俺の許容範囲さ」
 そのまま前をむいて歩き始めたヤンガスにかわって、彼は続けた。
 「よっぽど燃やしてほしいみたいね。まあこれだけ寒いと、燃やされたほうがましかもしれないけど」
 「・・・・っておい、マジかよ?」
 寒さで彼女もかなり気がたっていたのだろう、次に小さく聞こえたのは攻撃魔法発動の一定のフレーズだった。
 「ちょっと待てよ!」
 声を張り上げたククールは、辛うじて、放たれた炎の塊から身をかわした。
 すっぽぬけた赤い炎は、黒い煙をひいてあらぬ方向へ消えてゆく。
 再び沈黙。
 「・・・・・・・・・・・・・」
 前方にいるヤンガスは、今度は、馬車の御者台に座っているトロデとなにやら言い合いをはじめている。エイトはふたりの仲裁に入ろうとあくせくしているようで、こちらにまで気が回らない風であった。
 (参ったな、本気でやるとは思わなかったぜ)
 無意識のうちにつぶやきながら、ククールは半ば呆然と炎の消えていった方向を見つめた。
 白・白・白。
 雪は何事もなかったように降り続いている。
 (え?こりゃなんだ?)
 そんなおりだった。ふいに、地鳴りのような音が聞こえた。ひっきりなしに鳴る風の音とは違った、地の底からはい上がってくるような揺れを伴うひびきだった。
 雪崩だ。
とおもう間もなかった。右手の、高い丘の上から突如として襲ってきたのは、魔物ではなく雪の洪水だった。





 「エイトはまだ寝てる・・・・よね?」
 手に持ったカップをじっと見つめて、ゼシカはぽつんといった。
 暖かい室内。立派な暖炉からは時折、薪のたてる乾いた音が聞こえてくる。
 「何ともないといいけど・・・・」
 「大丈夫だろ。エイトはタフだし、起きてこないのは単純に疲れがたまってるだけだろ。一応、回復呪文は唱えてやったけどな」
 銀色の髪の青年が、同じようなカップをテーブルの上において応じる。
 「ありがと、ククール」
 力無く彼女は首をふった。
 部屋のなかは静かだった。外の、降りしきる雪の音すら聞こえてくるようでもあった。
 テーブルを囲んでいるのは、エイトをのぞく皆。横に座っているトロデの話によれば、暖炉のそばに寝そべっている大きな犬と、今、部屋の隅で薬湯を煎じている、この家の主である老婆が、雪崩に巻き込まれた自分たちを救い出してくれたらしい。
 九死に一生を得た、といっていいだろう。
 頭上から降ってくる雪の塊が見えたのを最後に、いったん記憶はとぎれている。次に目が覚めたときには、他のひとどもと一緒に、見知らぬ家のベッドに寝かされていた。
 そして、前述のトロデの説明になる。
 「私、みんなにまた迷惑をかけちゃったね」
 うつむいたまま彼女は続けた。身の置き所がなかった。後ろめたさと後悔が交錯して、このまま消え去りたい気分にもかられる。
 「ゼシカの姉ちゃん?」
 「だって、雪崩が起きたのは私が・・・・」
 「だから、雪崩は姉ちゃんのせいじゃねえって。あそこは時々雪崩が起きる場所なんだって、さっき、ばあさんから聞いたばかりでがしょうが?」
 「うん・・・・それはそうだけど・・・・」
 ヤンガスの言葉にも心からうなずくことができないまま、ゼシカは途切れ途切れに答えた。ざらりとした後味の悪さはまだ残っている。
 (なんであんなことしちゃったのかな・・・・あんまり寒くていらいらしてたとは思うけど)
 今となっては、後悔ばかりが先にたつ。リブルアーチの例の事件のすぐ後だけに、責任という文字がより重くのしかかる。
 あんなところで攻撃魔法など、使わなければよかったのだ。そうすれば、雪崩は起きなかったのかもしれない。皆にひどい思いをさせずにすんだのかもしれない。
 原因をつくったのはククールだ、としてしまうのは容易いが、責任逃れをしているようで、そうは考える気になれなかった。実際に魔法を使ったのは自分だから。
 「そんなに気にするなって、ゼシカ。ありゃあ自然現象だ。運が悪かったってだけの話さ」
 その青年が、口をひらく。
 「うん・・・・・・」
 「すぎたことをくよくよいってもはじまらないぜ」
 (うん・・・・ありがとう・・・・)
 胸中で、ゼシカはひそかに、彼に感謝した。普段はよけいなことばかりいっているくせに、今の言はどうであろう。
 『・・・・そう落ち込むなよ。結果はあくまで結果だからな。あえて悪く解釈する必要はないぜ』。
 ふと、思い出す。
 リブルアーチの教会だった。チェルスの死に衝撃をうけて、真っ暗な気持でいた自分を、彼はこういってフォローしてくれた。あのときばかりは、素直に彼の話を聞くことができて、なにか暖かいおもいに包まれて・・・・
 「・・・・でもまあ、しおらしいゼシカさんに会えて俺は嬉しいぜ。憂いのある美女ってのもなかなかいいもんだな」
 だがしかし。
 突然そこで、手のひらを返すような耳障りな台詞が聞こえた。
 「あんたね・・・・」
 我を忘れて、彼女は椅子から立ち上がった。
 (私がせっかく、めずらしく、こんなことは二度とないってくらいあんたに感謝していたのに、いったいなんなのよ!)
 ククールにかかったら悩む時間もない。否、そもそもの発端はこの男のこういった軽薄な言動だった。なのに、反省のいろはまるでうかがえない。
 「あんたも少しは反省しなさいよ、ククール。あんたが莫迦なことをいわなければ、あんなことにならなかったのかもしれないんだから!」
 相手の空色の瞳をにらみつけるように見つめて、ゼシカは言い放った。
 ククールの、あまりの都合のいい言い分に、自分だけ悩んでいるのが莫迦らしくもなってくる。
 「反省?そんな余裕ねえよ。ゼシカさんに好意を無にされて、俺は激しく傷ついてるんだぜ」
 「あらそうだったの?ちっともそんな風には見えないけど」
 「・・・・ったく、ふたりとも少しは黙らんか!」
 そのとき、割ってはいるような怒鳴り声が、これも唐突に部屋にひびいた。激昂ぎみに机をたたいたのはトロデだった。
 「いい加減にせい。ばあさんにも迷惑じゃろうが。やるなら外でやれ外で!」
 「・・・・・・・・・・・・」
 思わぬ伏兵に鼻白んだゼシカは、自然に、家主の老婆がいる部屋の隅に視線を向けた。
 「ご、ごめんなさい、おばあさん」
 「・・・・・・・・・・・」
 が、返事はない。ただ笑っているらしく、こちらをむいている背中がふるえている。
 「助けてもらったのに、こんな・・・・」
 「いいや、かまいませんて。にぎやかなのは大歓迎ですじゃ。若い人は元気があってよいですなあ」
 独り言のような声が部屋にひびく。
 「仲がよいのもいいことですな。喧嘩するほど仲がよいと申しますからなあ」
 「・・・・本当にごめんなさい」
 ばあさん、このふたりは喧嘩ばかりでがす、年がら年中きかされるほうはたまったもんじゃないでがす、と頼みもしないのに横から説明するヤンガスの声を聞きながら、しかしそれを否定できるべくもなく、彼女はひたすら恐縮して、椅子にまた腰を下ろした。
 トロデの言うとおり、命の恩人ともいえる他人の家で大騒ぎをしている場合ではない。
 (でも、あれって最初は・・・・)
 改めて反省の気持をこめて、あの出来事を顧みる。
 思えば、すべては、ククールが己れの外套を脱いでこちらに羽織らせたときからはじまった。
 (私が断ったのがいけなかったのかな?おとなしくあのまま・・・・ううん、ククールのマントなんて絶対ごめんだわ。あんな・・・・)
 白一色の世界のなかに映える紅のいろ。温みの残る服。優しい感触がよみがえる。
 (・・・・ち、違うわ。そ、そうじゃなくて・・・・)
 一部始終を思い出して、彼女は思わず目を伏せた。
 自分の肩にそれがふわりとかけられたその一瞬、素直に嬉しいと思ってしまったのは、どうしてだろう。とても暖かいと思ってしまったのは・・・・
 「・・・・外?おっさん、俺を凍死させる気かよ?」
 「何もそこまで言うとらん。寒いところなら、少しは頭も冷えると思ってな」
 ククールとトロデの言い合いは続いている。化かし合いのような会話を小耳に挟みながら、ゼシカは思いきり頭を横にふって、自分に言い聞かせるように繰り返した。
 (・・・・あのときはすごく寒かったから。そう、それだけよ。それだけ)。


fin



*雪崩の原因がふたりの舌戦だったら面白いなあと思って書いた話です。
UPはしてませんがぼこぼこ書いている中ではこれが一番甘い話だと思います。ククゼシには寸止め技術が必需だとつくづく。



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