「やっぱり駄目だったでがすね」
肩を落としたヤンガスはぽつんといった。
皆の気持を代弁するかのように、リブルアーチの町へ向かう馬車はのろのろと進んでいる。
「考えてみりゃ、ゼシカの性格からいって姫様に伝言を残してるなんてのは、ほとんどあり得ないことだよな」
どんよりとした空を見上げてあきらめたように相づちをうったのは、ククールだった。
不幸な事故、と割り切ってしまえたらどれほど気が楽であろう。運に見放されて、悪夢のなかに誘いこまれたような現実がここにある。
ゼシカの姿が消えたのは闇の遺跡から戻ってきた、その翌日だった。何がおきたのかもわからずに、それでも放っておくことなどできるはずもなく、彼女の足跡を探して訪ね歩き・・・・そして、予想もしえなかった事態に直面した。
「ゼシカの姉ちゃん、あのときはそんなに変わった様子はなかったはず・・・・だから、アッシらがもうちょいと注意してやっていれば、こんなことにはならなかったんじゃねえかなあ」
「そいつはどうだかな。原因がつかめていない今の段階じゃ、何も言えないと思うぜ」
「そうかもしれねえが、あの姉ちゃんがまるで魔物みたいになっちまったのはショックでがすよ。自分が誰だかも忘れちまったんでがすかねえ?兄貴」
「たぶんね。だって、わかってたらあんなまねはしないと思うよ」
今度は、御者台の脇を歩いているエイトが振り返った。若干声がしめっているのは、彼も相当悩んでいるからだろう。
事情をしらないリブルアーチの人々に、ゼシカが、杖使い女というありがたくもない呼び名で呼ばれるようになってから、どれくらいたったであろう。もっとも、あの様子からすれば、本人はなにもわかっていないであろうが。
「今更言ってもしかたねえ。このまま放っておいたらゼシカだって滅びる」
漆黒の瞳をまっすぐに見やってククールはいった。
「やっぱり、たたかわなくちゃならないんだね」
「ゼシカを止めるなら今しかない、エイト」
「そう、だね」
「・・・・・・・・・・・・」
重苦しいエイトの口調に、全員が黙り込む。
あんまり面倒なことに関わりたくはないが、こればっかりはそうもいかねえな。
と、ククールはおもった。
気持は複雑だった。
今まで仲間であったひとと刃をまじえなければならない、というのはどういうことであろうか。
やっかいなことになった。
というおもいは、皆同じであろう。断腸のおもいで相対したとしても、彼女が確実に元に戻ってくれる、とはいいきれない。
(そのときは、俺が引導を渡してやるか。滅茶苦茶気が進まねえけどな)
自らに言い聞かせるように、彼は胸中でつぶやいた。
『・・・・あんたね、別の町に行くたびに、片っ端から女性に声をかけるのはいいかげんやめなさいよ。そのうち罰が当たるわよ』
細い眉を少々つりあげて、とがめるようにいう彼女の姿が脳裏にうかぶ。兄の仇をうちたい一心で、半ば家出同然で家を飛び出してきたという良家のお嬢様は、不愉快そのものといった面持ちでそんなことをいっていた。あれは単に自分が気に入らないだけだったのか、それとも・・・・
(だけど、参ったな)
真っ正面から自分にむかって本気で意見をしてくるのは、兄・マルチェロと彼女だけだった。
「・・・・参ったな」
思いが、つい口からこぼれた。
「ククール?」
「あ、いや、独り言さ。なんでもない」
怪訝そうに問う声に、彼は数度まばたきをくりかえした。
「それよりはやいとこ、ハワードとかいったっけ?あのデブに、クラン・スピネルを渡しに行こうぜ」
「そうだね」
エイトが首をふる。
いまは悪魔の手先といっても過言でないように変貌してしまったゼシカがまた現れる前に、できる限りの対策を講じなければならない。
(・・・・ゼシカ)
胸中で名をつぶやく。
感情を素直に映し出す大きな瞳に、少々幼さの残る面立ち。町を歩けば誰もが振りかえるような美貌をもつ可憐な彼女に、興味をもたない男などいないだろう。
最初は自分も、興味本位であった。
緑色の魔物に盗賊のようなむくつけき男に一見普通の青年という、奇妙な旅の一行のなかに混じる、紅一点。詳しい事情をきくまでは、不可思議なとりあわせもあったものだと首をひねっていた。
『本心でもないくせに、わざと突き放したことを言って格好つけるのはよしなさいよ』。
こんなことを彼女にいわれたのはベルガラックだった。らしくもなく返す言葉に詰まってしまったのは、見事に痛いところをつかれてしまったからか。
(マジで弱ったな)
ゼシカは、ほかの誰にも似ていない。自分が一声かければ、否、かけなくとも、女性はわんさかと猫のようにすり寄ってきた。修道院に、自分を追ってやってくる婦人も後を絶たなかった。
どうも調子が狂う。
とおもったのは、旅をともにするようになってからいくらかたったあとである。
ーーーーあなたみたいないいかげんな軽薄男は大嫌いだわ。
彼女の目、仕草、態度、言葉、すべてがそういっていた。ならば徹底無視でもされるかと思いきや、案外そうでもない。時折カミソリのように鋭く切りこんでくることもあるが。話しかければ答えてくれる。
「・・・・莫迦野郎」
やりきれなさは悪態となって口をつく。誰に対してのものなのか、自分でもあやふやなままに。
「どうしても、ゼシカとたたかわなくちゃならねえのか」
再び足を踏み入れたリブルアーチの町は、不気味な静けさに包まれていた。
杖使い女だ。
一様に恐怖にひきつったような顔をした人々は、口々に叫んでいた。
昼間だというのにあたりは真夜中のように暗かった。
(・・・・ゼシカ)
彼はちいさくその名を呼んだ。
小柄な体躯。明るい夕色をした長い髪・・・・見慣れた姿。一つだけちがっていたのは、瑪瑙のようなきれいなかがやきを宿す瞳が、今は異様な光を帯びていたことだった。
「やっぱり、まだいたのね」。
聞き慣れた声が耳に届く。
ハワード邸の中庭にある豪華な噴水の前に、彼女は立っていた。
「・・・・やるしかないでがす」
歯を食いしばって武器をかまえたのはヤンガスだった。己れの気持の整理をつけるためにいったのでもあろう。
「そうだな」
前方を見据えながら、ククールも同意した。
耳にさわる高笑いと何かに憑かれたような目。
明らかに、それは今までの彼女ではなかった。
ーーーーあれはゼシカじゃない。別人だ。
念仏のように何度も繰り返す。一度は割り切ったとはいえ、こうしなければ、決意が鈍って剣を握る手がゆるんでしまいそうだった。
(くそったれ)。
吐き捨てるようにつぶやいたのは、ゼシカをむざむざ魔の手に渡してしまった自分自身のふがいなさに対してか。それとも、呪いにとらわれてしまった彼女への怒りか。
「行くよ!」
気合とともに、エイトが剣をぬく。迷いがあるように見えるのは、錯覚ではない。
気がすすまないのは、皆同じだろうから。
「いけねぇ!」
ヤンガスが舌打ちをする。
彼女が杖を一降りするや、突如として魔物が出現する。相手の数が、一気に数倍にふくれあがった。
(こんなのアリか?)
頭のなかで叫ぶ。
驚きと怒り。やりきれなさがまた襲ってきた。
ゼシカは真から、魔に取り込まれてしまったのだろうか?彼女を救うことはできないのだろうか?
「ーーーーーーー」
すかさず彼は防御魔法の呪文を詠唱した。相手はこちらよりも多い。順次攻撃を受けるようであれば不利になる。
(ほんとに、魔の使いになっちまったのか?ゼシカ)
人相までかわってしまった彼女に、心で語りかけるように訴える。
そんなわけがない、あっていいはずがない。
『いいかげんにしなさいよ、ククール』
あの文句は、もうきけないのだろうか?
「うふふ。なかなかやるわね」
高い声があたりにひびく。
同じ声音、同じひと。重ね合わせようとしたかつての面影は、魔法の一撃で粉みじんに打ち砕かれる。
「ーーーーーーーー」
杖をかざしたゼシカは、何ごとかを口にした。途端に、暗い空が昼間のように明るくなる。
炎系の強力魔法メラゾーマ。
自分の記憶が正しければ、現在に至る魔物との数え切れないほどのたたかいのなかで、ゼシカがこんな魔法を使ったことは一度もなかったように思う。
おそらくこれも、魔の力なのだろう。
(・・・・なんだよこれは!)
困惑に頭痛すら覚えて、ククールは顔をしかめた。彼女の魔法力が魔の影響を受けて増幅されたのであろうか、逆毛立つほどの邪悪な雰囲気のなかで、空から炎が落ちてくる。
こういった場合、ゼシカは、先んじて必ず防御魔法を使っていた。射ぬくような視線を魔物にむけて、皆より一歩前に足を踏み出した魔法の名手は、自分が皆を守るといわんばかりに、高らかに、魔法の文句を唱えていた。
それが、今はない。
「!!」
風がふきすぎた。
宙にうかんだ巨大な火の玉が消えた後には、爆風のような風が庭を凪いでいった。
「・・・・・・・・・・・」
やけくそになったのか、感情をふりきったのか、ヤンガスが無言で魔物の間に飛び込んでいく。
その判断は正解であろう。魔に支配されたゼシカの力は、想像以上に強いと、ヤンガスも思ったのだろう。
ほぼ同じくして、今度は魔物を包むように炎がとぶ。ベギラゴン。今さっきゼシカが放ったメラゾーマと並ぶ、炎系最大の威力を誇る攻撃魔法である。
黒い影のような容姿をした魔界の生き物が、ひとつふたつと消滅する。が、油断はできない。魔物たちの中央で、ゼシカはぞっとするような笑みを浮かべている。
「まだまだ、だね」
呪文をなげ終わったエイトが、独り言をいいながら剣を構え直す。肩で息をついている様子から、ぎりぎりの状態におかれているのが一目でわかる。
(駄目だ、本気でやらなかったらこっちがやられる)
ククールは奥歯をかみしめた。
自分なりのポリシーはあった。女性は守るべき対象でありこそすれ、絶対に傷つけてはならないものだと。もちろん、いまだかつてそんなことをした経験はない。起こりうるケースも限りなくゼロに近い。だから元からあり得ない話だった。
だが。
(・・・・くそったれ)
同じ文句を口にする。どうやら己れ自身に課した規律は、はじめて崩さざるを得ないかもしれない。
「ーーーーーーーーーーー」
片手を掲げて、彼は、全体を包む回復呪文を早口ぎみに転がした。名称はベホマラー。自分たちが倒れれば、後がないのは十分すぎるほど知っている。
ありがとう。
と、一瞬振り向いたエイトの目がいう。トロデーンの城仕えの人の好いこの青年は、どんなときでも心配りを欠かさない。
間一髪だったかもな、とククールは直感した。エイトも傷だらけであった。頬などはばっくり割れて血が滴りおちている。魔物の波状攻撃による傷であるのはいうまでもない。
魔物とたたかうのは慣れたことだ。傷を負わされるのは日常茶飯事、とくに驚くような話ではない。ただいつにもまして、傷の数が多いように感じられるのは、気持を整理したつもりでも、ゼシカを相手とすることにやはり微少なためらいがあるからか。
(もう一回、回復をかけなきゃヤバいかもな・・・・って、ゼシカもかなりきてるんじゃねえか?)。
思うそばから、炎の柱が中庭を覆う。
もって生まれた資質であろうか、天が与えたとしか思えないほど、ゼシカの魔法の力は郡を抜いていた。
一方で、体力はさほどない。今までの経験からすれば、彼女もそろそろ限界ではないだろうか。強力な魔法を操るとはいえ彼女が回復魔法を扱えない、という点は、現状において、こちらに大きなプラスとなろう。
エイトの剣が二度ほどきらめく。魔物の影がひとつ、消えてゆく。ヤンガスが武器を振りかざす。黒い物体が消滅する。いなくなったはずの魔物は、ドルマゲスの杖に導かれるようにまた現れる。
炎が舞う。氷の柱が襲う。呪文の応酬と再生。飛びかう魔法。
きりのない状況だった。
(あのデブは何やってんだ?大呪術師だなんてほざいてたくせに、結界はまだ出来ねえのか?)
彼は頭の隅で口走った。
いつまでこうして時間を稼いでいればいいのだろう。呪術師ハワードは、人間が何人も入りそうな大きな壺に何やら怪しげな物質を投入しながら、町を守る結界ができるまでゼシカを食い止めろといった。すぐにできるときいたはずだった。だのにどうも、時間がかかりすぎているような気がする。
これ以上、ゼシカを自分たちの手で傷つけたくはない。ハワードの術が完成すれば、彼女に直接、攻撃をせずにすむだろう。
結界について詳しい知識はあいにく持ち合わせていない。一種の逃げだというのは自覚している。これがために、ゼシカを死なせてしまうかもしれない、という不安もぬぐえない。が、自分たちが手をくだすより少しはましであろう。
ーーーーそうしたら、俺がいくらでも治癒呪文を唱えてやるよ。なあ、ゼシカ?
『結構です!私は、あなたみたいなちゃらちゃらした軽薄男が大嫌いだって言ったでしょ!誰があなたなんかに・・・・』
旅の当初、彼女は可愛い顔を台無しにして烈火のごとく怒った。絶対にお断りだわ、回復魔法だったらエイトにかけてもらうわ、と。
だが、今ならば拒絶はされないだろう。たとえ拒否されたとしても、自分は彼女に向かって敢然と手をかざすであろう・・・・彼女を救うために。
(何!)
そのとき、血しぶきが霧のように宙を舞った。瞬間、たじろいで棒立ちになってしまったのは致し方のないことだった、
飛び散っていく鮮やかな赤い血。
見ればわかる。ヤンガスの、力にまかせた一撃が相手の急所をついていた。
「ゼシカ!」
我を忘れて、彼は叫んだ。叫ばざるをえなかった。
傷ついた乙女。柘榴のように避けた傷口。きめ細かい白い肌のうえを赤い液体が滑り落ちてゆくのが、この距離からでもはっきりと見える。
こんなことが、あっていいのだろうか?
「くそっ!」
口唇をかみしめる。反射的に、彼女に向かって回復魔法を投げようと、唱えかけた文句を懸命に押さえこむ。
いつもだったら。
いつもだったら絶対にあり得ないことなのに。
いくらだって魔法を使ってやれるのに。
「・・・・・・・・・・・・・」
沈黙が襲った。
だからといって、ヤンガスをどうこう批判するつもりは毛頭なかった。
そこには悲痛な容貌があった。
険しい横顔のなかに、今にも泣き出さんばかりの憂いのいろが混じっていた。
皆、辛いのだ。
(ゼシカを止めなきゃならないのはわかっちゃいるが・・・・なんとかならねえのか?)
覚悟は決めたはずなのに、深い傷を負った彼女を前にした今、己れの決心が鈍ってくるのを自認する。甘いと批判されても言い訳のできない、非情に徹しきれない自分がここにいる。
どういうわけか、唐突に、修道院の院長の部屋での光景が浮かんできた。
忘れもしない月夜の晩だった。身動きできなかった己れの眼前で、オディロ院長はドルマゲスの杖に貫かれて、息絶えた。かなしみと悔しさと砂をかむような思いが交錯して、知らず知らず天を仰いでいたあの日がよみがえる。
不作為と作為ではどちらがよいのだろう。
かけがえのない仲間をこの手で打ち倒さなければならない今と、何もできなかった過去。ひとの死をみるのは耐え難いほど嫌なのに。
「許さない・・・・絶対に許さない」
今の一撃がこたえたのだろう、にわかにゼシカの動きがとまる。
風が、ふいた。
「見せて・・・・あげるわ。この杖の・・・・本当の魔力を・・・・」
次いで杖に身体をもたせかけた彼女は、荒い息をつきながら憎々しげにいった。体力がほぼ尽きているのだろうことは、よく見て取れる。
「燃え尽きるといい・・・・この町とともに・・・・お前たちの命も・・・・」
「ゼシカっ!」
もういいから。もうこんなたたかいはしたくないから。頼むから、元のゼシカに戻ってくれないか。
杖を振り上げて最後の力を解き放とうとするゼシカにたいして、そんなおもいを込めて、振り絞るように呼びかけたのはエイトだった。
どうあっても、彼女をとめることはできないのだろうか?
自分たちの仲間だったひとは、二度とかえってこないのだろうか。屈託のない笑顔、感情豊かな目、躍動する姿・・・・そんな彼女を目にすることはもうできないのだろうか。呪いは、肉体が消滅するまでとけないのだろうか。
「邪魔だ邪魔だ!」
暗澹たる考えが、泉のように吹き出してきたときだった。ふいに、こちらに向かって駆けてくる重い足音と男の大声が聞こえた。
「どけどけどけ!そこをどけ!結界がようやく完成したわい!」
視線を流した先には、屋敷の主ハワードがいた。おっさん遅すぎるぜ、といったのはヤンガスだったか、ハワードの声高な宣言によって、場をつつむ空気がかわる。
「杖使い女め!この退魔の結界をくらえ!」
屋敷の正面のほうから走ってきた小太りの呪術師は、やにわに足を止めると、自信に満ちた口ぶりで言い放った。
「!」
全員が、そのとき一斉に息をのんだ。
ハワードの手の内からあらわれたような、透過された風船のようなかたまりは、みるみるうちに巨大なキノコのカサのような形に変化をとげていった。
(これは・・・・)
目を見張る間もなく、結界は半球形を描きながらあたりを飲み込むように広がってゆく。
「この結界は超強力じゃぞ!見よ!杖使い女なぞ吹き飛ばしてくれるわ」
得意げに胸をはって、ハワードは前方を指さした。指し示した先にいるのは、むろん傷ついたゼシカだった。
あっ、という驚愕の叫びが群衆のなかから漏れる。皆が見上げるなか、宙に浮いていた乙女の身体が、膨張する結界の表面にまともに当たってはじき飛ばされる。
その瞬間、朝日のように輝いて、結界は消えた。
光につられたように闇も消えた。
急激に陽が差し込み、昼が夜にとってかわる。新鮮な気が、あふれ出す。
「ゼシカ!」
彼女の名を呼ぶのはこれで何度目であろう、必死のおもいで彼は声を張り上げた。
しっかりと握られていたドルマゲスの杖が、彼女の手を離れて落下する。
衝撃に耐えられなかったのか、結界の力に破れたのか、力を失ったゼシカは、水鳥が水面に降りるような緩やかさで地に降りたった後、静かにその身を横たえた。文字どおり、力を使い果たしたのだろう。
木の葉が舞い散るような、乾燥した軽い音がこだまする。見れば、ゼシカに召還された魔物たちもとっくに姿を消していた。
残ったのは、静寂。
「・・・・わしの結界が相当効いたようじゃな」
いい気味だといわんばかりに、倒れているゼシカに目をやったハワードは、満足げにわらった。
「結界ができるまでよく持ちこたえたな。なかなかのもんじゃ」
勝ち誇ったような笑いは止まらない。満身創痍といっていい青年に視線を戻して、中年の呪術師は続けた。
「エイト、ではお前に名誉な仕事を与えてやろう。あの杖使い女にとどめをさして・・・・っと、おい、こら待て!なんだいったい?」
「ククール!」
ハワードの阻止の文句とエイトの声を背中できいて、ククールはまっすぐに走り出していた。否、ハワードの声などは耳に入っていなかった、といったほうが正しいだろう、今、五感は唯一点に向いていた。
「ゼシカ!」
駆けながら、叫ぶように呼びかける。
名誉もへったくれもなかった。そんなものはどうでもよかった。見えていたのは、深手を負って倒れ伏したゼシカの姿だけだった。
「ーーーーーーー」
身動きひとつしない彼女の脇で、地面に片膝をついてかがみ込んだククールは、注意をはらってその身体を抱き起こすなり、片手をかざして矢継ぎ早に蘇生回復呪文を口にした。
流れ出る血は、ついさっきまでの一部始終のすさまじさを率直に物語っている。至るところに刻まれた深い傷の数は、たたかい慣れした己れでも目を覆いたくなるような、痛ましいとしか形容のしようがないものだった。
やむをえなかったとはいえ、これらの傷は自分たちが負わせたもの。
否定しようのない事実がよけいに胸をさす。
(ゼシカ・・・・頼む、オディロ院長みたいにはならないでくれ)
祈りながら、彼は懸命に呪文を詠唱していた。
修道院で起こった、悲劇の光景。わずかの間にもの言わぬ塊となってしまったオディロ院長の姿が、眼前に二重写しとなって浮かんでくる。
院長の死はあまりにも衝撃的すぎた。綺麗な満月を伴ったあの風景が夢のなかにまで現れて、飛び起きたことは数知れない。
認めたくはないが、以来、ひとの死をひどく恐れている自分がいることを知って、むしょうに当惑した時期もある。
ひとが死ぬのだけはからきし駄目だ。
というのは、どんな理屈をつけようとも動かせない結論だった。
(頼む、ゼシカ・・・・)
ただ願う。
ゼシカが目覚めたら、また杖を振り回してたたかいを挑んでくるかもしれない、とは考えなかった。そういった思考は、とうに頭のなかから抜け落ちていた。
むしろ、魔の呪縛から解き放たれずに、このまま彼女が永遠の眠りについてしまったら、と。もし治癒魔法が効かなかったら、と、恐れつつ考え続けていた。
彼女の死が、ひたすらに怖かった。
「ゼシカの具合はどう?」
「ゼシカの姉ちゃんは?」
不意に、そばで心配そうなふたりの声がきこえた。
「・・・・とりあえず、傷は塞いだ」
相次ぐ問いに促されたのかもしれない、ようやく我にかえったククールは改めて彼女を見やって、つとめて冷静な答えをかえした。
気づけば、顔を背けたくなるような数多の傷は綺麗になくなっていた。
「これでちゃんと目がさめてくれりゃ、いいんだけどな」
はじめてゼシカから視線をはずした彼は、斜め横を振り仰いだ。食い入るようにのぞき込んでいるのは、エイトとヤンガス、そしてトロデ。
「ありがとうククール。ゼシカは・・・・大丈夫みたいだね。魔の気配は消えてるみたいだし」
「ちゃんと息はしてるでがすね。ああよかった」
トロデーンの青年と強面の元盗賊が、同時に安堵の息をつく。厳しかった面持ちがようやく和んだ。
「意識は戻らないまでも、ひと安心というところじゃな。まあそのうち目覚めるだろうよ」
力無く両腕を垂れて赤子のように眠るゼシカをまじまじと見つめて、トロデがうなずく。
「しかしまあ、ゼシカの姉ちゃんをこうして見てみると、さっきの、あの鬼のような姿が嘘みたいでげすな」
「今はいいかもしれないけど、そんなこと聞いたら、ゼシカが怒るよ」
素直な感想を漏らしたヤンガスを、エイトが肩をすくめてたしなめる。軽口が飛び出してくるようになったのは、いくらか気持が落ち着いてきた証拠でもあろう。
サザンビークからリブルアーチ、ライドンの塔からリーザス東の塔、再びリブルアーチへ。ゼシカを探して、あるいは彼女を救うために費やした厳しい道のりは、ようやく終着をみたようだった。
振り返れば、余裕のない毎日だった。道行く先に現れる魔物に立ち向かうにも、苦戦を強いられることは時々あった。ゼシカひとりが欠けたばかりに・・・・こんなことをしている場合ではないと焦りながら、クラン・スピネルを入手するまでは耐えるしかなかった。
長い苦労のトンネルを抜けた現在、皆等しく、重圧から解放されたような気分を味わっているのだろう。
「こんなのは金輪際ごめんだぜ。ゼシカとたたかうなんてのは、二度とやりたくねえな」
腕のなかの乙女にちらと目をやった彼は、首を横にふった。
彼女は眠っている。瞼を閉じて、穏やかな表情で、しずかに寝息をたてている。
「とにかく、ゼシカを宿屋まで運ぼうではないか。これからのことは、宿でゆっくりと考えればよいじゃろう」
「それじゃあ、アッシが先に行って話をつけて来るでがす」
口をきったトロデに応じてヤンガスが立ち上がる。元来、頑健なのだろう、激しいたたかいの後だというのに、この男ばかりは疲労の様子をみせていなかった。
「・・・・俺たちも行くか」
走ってゆくヤンガスの、いつになくはずんでいるような後ろ姿が街角の向こうに消えるのを見送って、ククールは、眠る乙女を自らの腕に抱きかかえながら立ちあがった。
(華奢なわりに予想してたよりは重いな。胸のボリュームのせいか?)
彼女の前ではいえないだろう言葉を、自分のうちで口にする。普段の彼女がここにいれば、セクハラ発言もたいがいにしなさいと平手うちが飛んでくるのは間違いない。
そんな姿や仕草を目にできなくなったのは、遠いようでいて近い過去。皆の前からゼシカが消えてさほど経ってはいないのに、やけに時間が経っているように感じられるのは、なぜだろう。
(いや、俺もかなりきてるのかもな。さっきのは滅茶苦茶ハードだったからな)
「ククール」
色々と考えながら歩き出した矢先だった、脇からエイトの声が聞こえた。
「あ?」
「ーーーーーーーー」
横を振り向けば、そっと、ゼシカではなくこちらにかざされる手が目に入る。聞こえたのは、低く流れる回復呪文だった。
「サンキュ、エイト。悪いな」
素直に、彼は軽く頭を下げた。うっかり失念していたようだった。どうやら自分も、相当ぼろぼろだったらしい。
「別にいいよ。魔法力もそんなに残ってないんでしょ?」
「はぁ?」
「ククール、魔法ばっかり使って、結局武器は使ってなかったから」
嫌な奴だな、そんなところまで見ていなくたっていいじゃねえか。意外とこいつもしらんふりが得意だな。これからは認識を改めなくちゃならねえな。
見当違いもいいところだと強調するように一度頓狂な声をあげてみせてから、ぐるぐるとそんな思考をめぐらせて答えをかえす。
「お前さ、何わけのわからないこと言ってるんだよ。見りゃわかるだろ?両手がふさがってるから、自分で回復がかけられねえの」
「わかったよ。じゃあそういうことにしとくよ」
エイトが片目をつぶってわらう。思わせぶりな台詞でも、まったく嫌味に聞こえないのはこの男の人柄によるものか。
「それよりエイト、他人の世話ばかり焼いてないで、お前も自分で回復かけろっての。出血多量で死にたいっていうならかまわねえが」
「そんなにひどい?でもしょうがないね。ゼシカがすごく強かったから」
「やる気ないみたいだな。ま、いいけどさ。言っておくが俺が助けるのはレディだけだぜ」
「ははは」
さわやかな笑顔を浮かべたエイトは、言われるがまま己れ自身で呪文を唱えた。
風のなかに、明朗な声音がとけてゆく。
魔の象徴のような黒い影は、もう跡形もなく・・・・
(ゼシカが正気だったら怒るだろうな)
腕のなかの乙女にもう一度目をやって、ククールは口元をほころばせた。彼女が今気づいたらと想像するだけで、妙におかしさがこみあげる。
彼女の意識がよみがえったら。
いつもの姿に戻ったなら。
さぞかしゼシカは怒るだろう。
『・・・・下心満載のあんたなんかに運ばれるのはごめんだわ。おろしてよ!私はひとりで歩けるわ!』。
(今だけな。こんなこと、ゼシカさんは普段じゃさせてくれないだろ?)
散々苦労したんだぜ、ちょっとはご褒美をもらったって罰はあたらないよな。
安らかな寝顔にむかってそんなふうに話しかけて、再び顔をあげる。
「・・・・・・・・・・・」
リブルアーチの町を、微風が通り過ぎる。
上にひろがる明るい空。流れてゆく雲。
快い風に髪をなぶらせながら、彼はそっと息をついた。
ゼシカを死なせずにすんでよかった、と。
道は、はるか遠く・・・・・・
fin
*こちらもお気づきかと思いますが時系列無視している台詞がひとつ。ゼシカ「本心でもないくせに・・・・」云々は
このイベントが終わってベルガラックに行ってからの台詞になります。ごめんなさい。この台詞大好きなのでついつい。
ところで、リブルアーチイベント時点ではククールとしては「大事な仲間を元どおりに」という思いだけで、
ゼシカに対してそれ以上の感情はありません。・・・・というつもりで書きました。妄想はいろいろとしておりますが(笑)
それと原作なんですが、ハワードがゼシカにとどめをさせ、と主人公にいう場面。「はい」を選ぶと「いいえ」を選んだときと
ちょっとムービーがかわるんですよね。
注目はこのとき、ハワード、主人公、ヤンガス、トロデの姿はあるのですが、ククールの姿がないんです。
たぶんもう、ハワードの話なんかきかずに、倒れたゼシカのところにすっ飛んで行ってるんじゃないかと(←滅茶苦茶間違い)
で、意識を失ったゼシカを宿屋まで運ぶのは、やっぱりククールにやって頂きたいと(←完璧に間違い)
・・・・語ってしまいました。ごめんなさい。