チェルスは死んだ。
その事実がエイトらの重い口からもたらされたときは、愕然となって、沈み込まざるをえなかった。
自分が殺したにも等しいのではないか。
とゼシカはおもった。かえすがえすも、暗黒神の魂が宿るドルマゲスの杖に操られていたのが、情けなくて悔しい。直接自分が手を下したわけではないにしても、チェルスの死に責任がないといったら嘘になる。
もちろん、エイトらのせいではない。彼らを責める気は毛頭ない。原因がわかっていながら、暗黒神がねらうチェルスをみすみす死なせてしまったことが、悔やまれてならなかった。
「でも、明日は早速、北に向かうのよね。こんなことしてる場合じゃないわ」
早く寝なくちゃ。
いくぶん冷たい風に身をさらしながら、気を取り直そうとそんな文句をつぶやいてみる。
宿を抜けて、ひとり外に出てみたのは、一にも二にも眠れなかったからだった。呵責と後悔と叱咤と、さまざまなおもいが交差して、とりあえず頭を冷やそうとしてはみているものの、努力もむなしく、時間ばかりが刻々と過ぎてゆく。
「また、みんなに迷惑をかけちゃうじゃない。駄目駄目」
彼女は頭をふった。
チェルスの訃報をきいたとき、自分は相当暗い顔をしたらしい。出発は明日にしようと、間髪をいれずにエイトはいった。エイト特有の心くばりだというのはすぐにわかった。だのに、こんな状態ではせっかくの心遣いを無駄にしかねない。
「・・・・・・・・・・・」
憮然として、ゼシカは夜空を仰いだ。
今ははたしてどれくらいの時刻なのだろう、月は冴え冴えと光度を増している。あたりは音もない。
「・・・・ゼシカ」
そんなおりだった。突然、背後から自分を呼ぶ声が聞こえた。
(え?)
驚いて、反射的に振り返る。いつもであればとっくに寝ているだろうひとの声。皆に気づかれないように、部屋はそっと抜け出してきたはずなのに。
「不用心もいいところだぜ。夜中にひとりで表に出るなんてさ」
流れる銀の髪と空色の瞳。
振り向いた先には、外套を羽織り、剣をさげ、昼間と同じ服装に身をかためた青年の姿があった。
「べつに野宿しているわけじゃないでしょ?ここは町中よ。魔物なんかいないわ」
「そりゃそうだが、夜中に外出するんだったら、あらかじめ声かけてくんね?喜んでお供するぜ」
「頼まれたってお断りだわ」
いくぶん肩をおとして、彼女は応じた。普段のように声を張り上げられないのは、まだ気持がしめっているせいか。
そういえば、彼にも迷惑をかけた。ドルマゲスの杖を握ってからは記憶は霞がかったようになっていてよく覚えていないが、宿でトロデに断片的に説明してもらった話によれば、今回の件では、エイトらは相当辛苦を重ねたらしい。
『まあ、ちっとは苦労しやしたが、ゼシカの姉ちゃんが気にするこたぁねえでがすよ』
といったのはヤンガスで、エイトはああいった人柄だから首をふるだけに終始していたし、この男はこの男で、ラプソーンが気にいらないといいながらしかめ面をつくっていた。
トロデが少しばかり話してくれたのをきいたのみで、結局、この話はそれきりでおわっている。皆、極力、今回の一件に触れないように気を遣ってくれているのだろう。
「ここにいたって仕方ないだろ?早く中に入ったほうがいいぜ」
「大丈夫よ。しばらくしたら戻るから。あんたこそ、部屋に戻って寝たら?」
立ちつくしたまま、ゼシカは凍り付いたような声音で続けた。ききようによってはいくらか嫌味のはいったような言い回しともとれるが、これはこのひとなりの気遣いだというのはわかっている。
「ちょっと待てよ。今は夜中だぜ、夜中。外に美女をひとり残して、じゃあおやすみ、なんて真似が出来るかっての」
前髪を一度かきあげた彼は、莫迦いうなよと独り言のように付け加えた。
「私は別にかまわないわ」
「俺はかまわなくないんだよ」
「・・・・・・・」
「ゼシカさ、今、チェルスのことは気にするな、つっても無理だろうが、過ぎちまったことを悩んでいてもはじまらないだろ?」
話の内容は、やはり今回の出来事だった。彼も、いつにも増して注意を払ってくれているのだとおもう。
「わかってるわ。だけど・・・・」
語尾を濁して、ゼシカはうつむいた。励ましが逆に心に痛い。責められたほうが楽なようにも感じられる。
だからつい、本音が出た。
「私がドルマゲスの杖なんかに操られなければ、こんなことにならなかったかもしれない。チェルスを救えたかもしれない、って思うの」
痛ましい出来事から半日たった今も、衝撃は冷めない。かえって、時間とともに自責の念が増していくようで、やりきれなかった。
「そりゃ少し違うな。ゼシカが杖を持ってなかったとしても、あの黒犬でもいいぜ、杖を持った誰かが、かわりにチェルスを狙っただろうよ。ゼシカのせいじゃない」
「・・・・・・・・・・」
相手の即答に、今度は黙り込む。考えてみれば、たしかにそうだ。が、感情と思考はまだ重なっていない。
自分が罪もないひとを殺しかけた。
という事実は、消せない。結局そのひとは亡くなった、というのも事実である。
兄・サーベルトが死んだ時点では、真の原因がドルマゲスではなく、ドルマゲスが持っていた杖にあるとは考えてもみなかった。わからなかったこととはいえ、結果的に自分は、魔の片棒を担いだ格好になってしまった。
気持は、晴れない。
「聞いてくれる?」
再び彼女は顔をあげた。
ひとつ、思いついたことがあった。
「あなたにお願いがあるの」
「え?」
短い返事。珍しくいつものような莫迦な答えはかえってこなかった。察したのかもしれない。
「もしも・・・・もし私がまた、魔の手に操られて人殺しをするようなことになったら・・・・そのときは」
「・・・・・・・・・」
「私を殺してでも止めて」
相手の、切れ長の目がいっぱいに見開かれた。予想もしていなかった言葉だったのだろう。
「・・・・・・・」
風が流れた。
そして、沈黙がすぎてゆく。
「・・・・冗談きついぜ」
いくらかのあと、ククールは首を横にふった。
「俺に人殺しをしろってか?嫌なこった。第一、美人を傷つけるなんてのは、俺の流儀に反するんだよ」
「ククール」
「あまり思いつめるんじゃねえって。ドルマゲスのおっさんを倒して兄貴の仇が討てた、ってゼシカが考えているならまた話は別だが、そうじゃねえだろ?」
「だからっ・・・・」
いいかけて、ゼシカは口唇をかみしめた。
相手のいうとおり、ドルマゲスを屠って問題が解決したとは考えていない。もしおもっていれば、とっくに、リーザス村に戻る準備をしているだろう。
旅をやめる気がないからこそ、無理を承知で頼んでいるのではないか。何が起こるかわからないというのは、今回のことで身にしみてわかった。今後も同じようなことが起きないとは限らない。万が一、またこんなぐあいになってしまうようなことがあれば、兄にも、杖の犠牲になった人々にも顔向けができない。
そんな風になるくらいならば・・・・自分を抹消してしまったほうがいい。仲間内ではククールは、致死魔法が使えるただひとりの人間であるし、いざとなれば一撃で、自分を死の世界へと送り込んでくれるだろう。
そう、おもったのに。
「・・・・・・・・・・・」
彼女は奥歯をかんでうつむいた。
ククールに己れの考えを説明しようにも、感情が先走って的確な言葉がでてこない。
「・・・・ゼシカ」
そのときだった。
改まったしずかなよびかけとともに、ひやりとするちいさな感触が首と胸に触れた。
「え・・・・」
「これ、持ってろ」
首にそっとかけられたのは、この暗闇でも金いろにきらめくロザリオだった。
「そいつには、邪悪なものをはじく力がある。気休めにしかならねえかもしれないが、ないよりはましだ」
「だ、だけど・・・・」
相手の意外な行動に、ゼシカは戸惑った。
顔を上げる。
「あんたにはわからないかもしれないけど、ラプソーンの魔力はものすごく強力なのよ。ひとの心に命令して、杖をもった者を支配するの。そういうことが簡単にできるのよ」
好意に感謝する一方で、聖職者がその身の証として持っている金のロザリオではあっても、暗黒神に対抗できうるとはおもえない、と彼女は連鎖的に考えた。可能だというのであれば、少なくとも、徳の高い宗教者として知られていた、マイエラ修道院長オディロの死はない。
「わかってるさ」
なにごとかを含んだように、空色の瞳がうなずく。
月光に照らされて、一瞬、ロザリオが明るくかがやいた。
「要らなきゃ売っちまえばいい。いくらかの金にはなるだろうよ」
「う、うん・・・・でも」
いったん、彼女は言葉をきった。軽い惑いのなかで、ちいさな疑問がうまれている。
売る売らないといった問題以前に、金のロザリオには魔をはねのけるような効能があっただろうか?
「これって・・・・雑念をとりのぞくっていう効果があるだけじゃなかったの?」
少々首をかしげて問いを投げる。
空色の瞳が悪戯そうにかがやいたのは、その瞬間だった。
「普通はな。だがそいつはちょっと違うんだ」
「なにが違うの?」
「そのロザリオは、オディロ院長の遺品さ。俺が昔、院長からもらったやつだ」
「何ですって?!」
返ってきた答えに、さらに驚いたゼシカは、胸に光る鎖をあわてて取り外しにかかった。だとしたらどんな好意であっても、自分がうけるわけにはいかない。
孤児だったククールの親代わりでもあった修道院長。この軽薄な男が、唯一、院長に関することになると途端に真剣な表情になる。どれほど彼が院長を慕っていたかは、これだけでもわかる。
マイエラ修道院での惨劇は、忘れない。
ドルマゲスの嫌な笑い。物言わず、床に倒れたオディロ院長。翌日の葬儀。雨の中、泣き出しそうな顔で空を見上げていたククール・・・・一部始終が次々に脳裏をかすめてゆく。
「・・・・オディロ院長の遺品なんて、絶対受け取れないわ。これは私じゃなくて、あなたが持つべきものよ」
押しつけるようにして、彼女は相手の手に無理矢理品物を握らせた。
ククールにとっては、非常にたいせつなものではないか。そんなに大事なものを手渡してくれたことには感謝をしきれないが、気持だけもらっておくにとどめるべきだろう。
「なんてな」
が、そこで楽しそうに続けた彼は、再びロザリオを押し戻した。
「実はもう一個あってさ、どっちがどっちだかわかんなくなっちまった、っていったらどうする?」
「え?」
「片っぽは俺ので、片っぽはオディロ院長のに間違いはないんだが」
彼の鮮やかないろの服の下から、同じ形をした装飾品がもうひとつ取り出される。
「あ、あなたね・・・・・・」
あっけにとられて、ゼシカは一瞬言葉を失った。驚くにもほどがある。
「なんてことしてるのよ。だったらやっぱり要らないわ。これがあなたのだったとしたら・・・・」
「だから、売りたきゃ売ったって構わねえって言ってるだろ?とにかく、それはやるよ」
まったく問題はないじゃないかといわんばかりに、片目をつぶってククールはわらった。暗闇に銀の髪がゆれた。
「・・・・・・・・・・」
ここまで言われたら返せるはずもない。
有無を言わさず握らされた、どちらのひとのものかわからないロザリオを手にとって、彼女は目を伏せた。
日頃は、神経を逆なでするようなことしかいわないひとなのに、これはどうであろう。軽い言い回しは相変わらずだが、こんな夜中に後を追ってきたことも考え合わせれば、本当は、彼は心根の細やかな人間なのかもしれない。
「・・・・ありがとう」
ちいさく礼をのべて頭をさげる。普段であれば絶対要らないわと即座に返すところだが、今は素直にうなずける。
なぜか、嬉しくなった。
「さて、それじゃ、深夜のデートといこうぜ。俺はどっちかといえば、夜は外じゃなくて、部屋のベッドの上のほうがいいんだけどな。ま、ゼシカさんが外がいいって言うなら付きあうぜ」
「誰もあんたとデートするなんて言ってないでしょ?何考えてるのよ、莫迦っ」
「なら、戻って一緒に寝るかい?もちろん同じベッドで」
「死んだってごめんだわ」
例のごとくの軽口に応酬しながら、ゼシカは、けれども、楽しげにわらった。
当初の苦悩は、いつのまにかどこかに消えている。この月夜にとけたのか、あるいはオディロ院長の遺品が消してくれたのか。
(そうね・・・・・)
もう一度そっと、金の鎖を手に取る。
『・・・・これから俺は片時も離れず君を守るよ』。
マイエラの修道院で聞いた言葉が、ふとよみがえる。
背中がかゆくなるような台詞を臆面もなく口にできるなんて、ずいぶん軽々しい人間だ、気障な格好付けの文句にも限度があると、あのときは腹が立つのを通り越してあきれ果てたものだが、振り返ってみれば、案外そうでもないことに気づく。
ーーーーどんなことがあっても、俺は君の味方だよ。
声なき品は、送り主の、かわらない真の意志を媒介して、そんなふうに語りかけてくるようにおもえてならなかった。
fin
*筆の横滑り第2弾です。リブルアーチイベントもククゼシにとっては重要ポイントではないかと思います。
ゴルド崩壊イベントと見事な対を為している気がします。(^_^;
よく考えてみると、ククールはなんだかんだいいながらもゼシカをきちんと守ってるんですよね。
軟派な台詞を吐いている割に、自分の言ったことはちゃんと実行しているのに気づいて彼を見直した今日このごろ。