なぜ、マルチェロを呼び止めなかったのだろう。
ゼシカは考え続けていた。昼間のククールの言動だった。
崩壊した聖地ゴルド。上から見下ろせば切り立った崖さながら、神殿のあった場所には大穴があき、町は廃墟と化した。
そんななかで、大けがを負って、よろめきながら去っていったマルチェロ。事情があったとはいえそのマルチェロに対する彼の態度が、どうしても理解できなかった。
『放っておいていいの?あんなにひどい怪我をしているのに』
その場に立ちつくして、一言も発さずに兄の後ろ姿を見送っていたククールに、促すようにそういってはみた。
だが彼は、感傷的な瞳を遠くに放るだけで終始無言だった。
傍目からみても、仲の悪い兄弟だった。だから金輪際顔も見たくないとククールが考えていて、意図的にマルチェロを無視していたというのなら話はべつたが、自分の見る限りでは決してそうではなかった。口では兄を批判しながらも、彼はほんとうは兄がすきだったのだろう。
ククールの、あの傷ついた表情がそれを明白に裏付ける。
普段のふるまいからではとうてい考えられない、寂しげな瞳。たとえていうなら、この世の終わりがきたといっても過言でないような、辛さに満ちた目。
なのに彼は、ついに動こうとはしなかった。
「・・・・ほんとにわからないわね」
夜空をながめながら、彼女はひとりごとをつぶやいた。
気分を入れ替えようと宿の建物の屋上に来てみたものの、思考は、さきほどから同じ軌道をえがいている。
今日のところは一休みしようとおもむいた先は、ベルガラック。時間が遅いせいか、それとも世界を襲った一大異変のせいか、いつもはにぎやかなこの町も今は静けさにつつまれている。外にいる人の影はあまりなかった。
ゴルドの崩壊とともに暗黒神は復活をとげ、一番恐れていたことは現実となった。
この、間接的な原因を作ったのはマルチェロだった。ただ、一概に彼が悪いとはいえない。様々な要素が複合した結果、自分たちの努力もむなしく、最悪の事態が生起したのだ。
(むかつくやつだったけど、ああなっちゃうと、なんだか気の毒になるわね)
昼間の光景を脳裏に描いて、ゼシカは思い返した。
見方によっては、マルチェロもドルマゲスの杖・・・・暗黒神ラプソーンに利用されたのだといえなくはない。世界宗教界の頂点から一瞬にして転落したマルチェロの、身を置く場所は、世界中どこをさがしてもないのではないか。
だから、ククールの態度がよけいに不可解だった。
仮に、自分の兄がこんなことになったとしたら、自分は心配でいられないだろう。すぐさま後を追い、連絡をとり、できうる限り力になろうとするだろう。残念ながら、たったひとりの兄はもうこの世にいないが。
それだのに、ククールは後を追おうとはしなかった。マルチェロも、傷ついた足をひきずりながら去っていくだけだった。
あのとき、強引に引き止めて、もう少し長い話をしてもよかったのではないか。兄弟間の長い確執が氷解する、絶好の機会だったのではあるまいか。
(もう、やめやめ。終わっちゃったことだもの、考えたって仕方ないわ。それに、私がそこまで心配してあげる必要なんか、ないじゃない)
兄弟と兄妹では感覚が違うのだろう。
そんなふうに自分なりに答えを出して、彼女は夜空をながめながら軽く息をついた。
煌々とひかる満月。暗黒神の復活が現実とは思えぬほどに、星もきれいに瞬いている。
明日からは、ラプソーンを追いかける毎日となるだろう。個人的なことに気を割いている時間はない。世界は破滅への道をひた走っている。滅亡を阻止するためには、今後は暗黒神を倒すことに全力を注がなければなるまい。
(でも・・・・・・)
一度は割り切ってみたものの、自分のなかでなにかがひっかかった。ぼろ雑巾のように傷だらけになっていたマルチェロ。捨てられた子犬のような目をしていたククール。
あの風景が、眼前にちらついて離れない。
「・・・・・・・・」
何度か目をしばたたかせて、彼女はその場に背を向けた。
少し、様子を見に行ってみよう。
そんなふうに考えた。さきほど、気分転換にどうかというエイトらの酒場への誘いを、珍しくククールが断っていたのは見ている。理由はひとつ、昼間の衝撃が非常に強かったためとしか考えられない。
軽くうけ流せる話ではない。
と、ゼシカは直感した。察するに、時間がたてばそのうち立ち直るだろう、という程度のものでないとおもった。
男どもの部屋は幸い、自分の部屋の隣である。ただし、エイトらが外に出て行ったあとは、物音ひとつしなかった。この点も気になった。
「私だけど、入っていい?」
「・・・・・・・・・・・」
扉をたたいて外から声をかける。返事はない。
あとで思いなおしてエイトらの後を追っていったのか、あるいは早めに寝ているのかと考えつつ、一呼吸おいてもう一度扉をたたく。
「・・・・・・・」
相変わらず返事はない。が、かすかな物音は聞こえた。いるにはいるのだろう。
「誰かいる?・・・・悪いけど入るわよ」
呼びかけながら、彼女は思いきって扉を開けた。
「・・・・ククール」
案の定だった。同時に視界にとびこんできたのは、見慣れたひとの姿だった。
「ああ」
青白い顔が、曖昧な返事とともにこちらをむく。
あれから何もしていないのだろう、すり傷はそのまま、服は汚れたままで、彼は寝台に腰をかけていた。
「・・・・・・」
予想を遙かに上回る彼の状態に驚いて、ゼシカは言葉を失った。
ひどい顔だった。普段の姿は見る影もなかった。
肉体的な、否、精神的な疲労が大きいのだろう、彼の特徴的な早春の空のようないろの瞳は、病人かと見まごうほどに暗く濁って、光を失っていた。
「邪魔だった?」
「いや・・・・」
声に張りもない。あの一件が相当こたえているのだろう。
「いや申し訳ないね。ゼシカさんがわざわざ夜中に訪問してくれたってのに・・・・やっとその気になってくれたのかい?」
「莫迦言わないで」
後ろ手に扉を閉めた彼女は、まっすぐに相手を見つめた。いつもであれば、ふざけないで、勘違いもいいところだわ、と平手のひとつも見舞うところであるが、今はとうていそんな気になれなかった。
その顔はいったいなんなのか。その寂寞の瞳のいろはなんなのか。
ひと目でわかる。言葉以外のすべてが、彼の真の姿を伝えている。
「こんなときまで強がりいってるんじゃないわよ」
「・・・・悪い」
彼は顔をそむけた。
「生きてるだけ、いいじゃない」
寝台の前までゆっくりと歩いていったゼシカは、彼の真っ正面に立って足を止めた。
誰が、とはあえていわない。
こんなことをいっても慰めにならないことはわかっている。きょうだいの間に他人が割り込めるものではない。独特の絆というものがあると思うから。
「まあ、な」
途切れ途切れの返事。
つづいて、静寂。
「・・・・悪いゼシカ、もうしばらくひとりにしてくれないか?」
いくばくかの後、彼は疲れきった顔をあげた。
こんな姿を見られるのは情けないから。
言葉の端々にそういったニュアンスが含まれているのは、なんとなくわかる。
「意地っ張りね」
苦笑を覚えながらゼシカは答えた。
土砂降りに遭遇した子猫のような面持ちで、今更何をいうのだろう。往生際が悪いことこのうえない。
もちろん、わかったわ、じゃあまた明日、などと引き下がるつもりはさらさらない。かなしみにいろどられた瞳が、逆に、ここにいてほしいと訴えているように見えるから。
幼い頃両親に死に別れ、身寄りをなくした彼は修道院に引き取られた。が、そこにいたのは、異母兄マルチェロだった。兄は異母弟を敵視し、疎んじた。
虚勢をはって本心を隠すのは、彼のひとつの自己防衛なのだろう。修道院以外に行き場のなかった少年が、ひとりで生きていくために覚えた手段だったのだろう。
「ゼシカに言われるとは思わなかったな」
「おあいにくさま」
彼女はかるく微笑んでみせた。
本当の愛情というものを、ククールはあまり知らないのではないだろうか、と思ったことはある。
ふとみる横顔が、青年のそれではなく子供のように見えるときがあるのを発見したのは、いつ頃だったろうか。たとえるなら、陽のささない深い暗闇の底で、腕を伸ばして、誰かの救いの手を求めている少年の姿がかいま見えるように感じられるのは。
彼に比べて、我が身はずいぶんと恵まれている。
兄がいた。笑いあい話し合い、なにかにつけて自分を庇い、意見をしてくれた一番の理解者、尊敬すべき優しい兄。今は亡いひととはいえ、あの兄がいてくれたからこそ、今の自分があるといえる。意見が対立して家を出てきたとはいえ、母も健在でいる。厳しい母親だが、これも愛情のかたちではないかと思える節がある。
両親を失い、たったひとりの兄には顧みられず、およそ自分とは正反対といっていい環境で生きてきたククールには、こんな経験は殆どないのではあるまいか。
こう考えてみたときに、はじめて、ククールの真実の姿が見えた気がした。
「・・・・しょうがないわね」
ゼシカは一度首をふった。
彼の強がりは寂しさの裏返し。女性たちに向かって思わせぶりな台詞をはきつつも、その実、誰よりも愛情を欲していたのは彼ではなかったろうか。
「今すぐにっていうのは無理だろうけど、少しは元気出しなさいよ」
手をのばす。
そして触れる。
銀色の髪が、室内を照らすランプの光に揺らいだ。
「ゼシカ?」
「私が落ち込んだときに、サーベルト兄さんがよくこうしてくれたわ」
幼い子供にするように、彼女は相手の頭のてんぺんに手を置いて丁寧になでた。
何度も何度も。
かなしい光がその目から消えるまでは、たとえ一晩中であろうとこうしていようとおもった。
「ゼシカと一緒にするなよ。慰めるなら、頭をなでてもらうよりもっと別の方法で慰めてもらいたいぜ」
「あら、私はこれが一番いいと思ったんだけど」
ろくな答えが返ってこないことはわかりきっているから、別の方法が何かとはあえてききかえさずに、わしわしと、今度は若干力を加えてなでまわす。
「なでてもらうとなんか嬉しくなってこない?」
「こねーよ。って、まあゼシカさんがやってくれるんだったら、ちっとは嬉しいかもな」
「今日はいくらか素直ね」
ゼシカはそこでおもむろに手を止めた。
空色の瞳に、ちいさな明かりがともった。
「・・・・みっともねえな。マルチェロひとりにこんなにふりまわされるなんてさ」
ランプの灯がゆれて、床に落ちる影がかすかにゆれる。
「でも、どんなこと言ったって、あいつはあんたの兄さんなんだから仕方ないでしょ?変えられるものじゃないし」
きょうだいの間には、ほかの人間が入り込めない空間がある。
改めて、彼女はおもった。
自分たちと出会う前、長い長い年月を、彼はあの修道院で過ごしてきたのだ。当人たちにしかわからない数限りない出来事が、そこにはある。無造作に他人が足を踏み入れていいものでもない。
「ひどい顔してるわね」
彼女はまた微笑んだ。
ただしひどい顔、の意味は、表情、ということではすでになくなっている。近くで見れば見るほどよくわかる、マルチェロとのたたかいによるものか、ゴルドが崩壊した際に負ったものか、ククールの整った容貌には無数の擦り傷が生じていた。
「あんたのファンの女の子がそんな顔みたら、さぞかしがっかりするでしょうね」
「そんなにひでぇか」
「ほら、これでも使いなさい」
いいながら、ゼシカは緑の葉を手前に差し出した。彼が回復呪文を使えるのはとっくに知っているが、これはせめてもの心遣いというものだろう。
ぺた。
と。
手に持った葉を、ついでとばかりに彼の頬の傷にくっつける。
「!」
その瞬間、切れ長の目が驚いたようにわずかに見開かれて、次にひどく嬉しそうにかがやいた。
(今日だけは特別サービスしてあげるわ)
まったく手間のかかる男だと思いながら、彼女は胸中で話しかけた。ただし悪い気分ではない。自分にもし弟がいたとしたら、このような感じになるのだろう。
「・・・・ゼシカの手ってあったかいな」
「喜んでもらえて光栄だわ。って、こら、調子にのらない!」
頬に当てている手を捕まれて、軽く引っ張られそうになるのにあわてて声をあげる。もっとも、ククールが本気でないのはわかってはいるが。
(どうやら大丈夫そうね)
相手の様子を細かく見て取る。
本来の調子が戻ってきたようだった。マルチェロの件は誰にも消しようがないけれども、少しでも彼の気持がはれてくれればそれでいい。死にそうな暗い面持ちをみるよりは、したり顔で軽口を叩いてくれるほうがよほどいい。
「ちえっ」
「舌打ちしないの。とにかく今日はゆっくり休むのよ。明日には復活しなさい。わかった?」
「はいはい。ゼシカ姫のご要望とあれば」
「返事はひとつでいいわ」
なんだか子供をしつける母親のようだと内心でおかしくなりながら、彼女はいった。
母親。
気の毒な幼年時代から推察するに、彼は、感覚的に母親がどんなものかよくわからないのかもしれない。母が子供にそそぐ愛情がどれほどのものかも、あまり知らないのかもしれない。
だから・・・・・・
(あのどこでも嫌味男も、もしかしたら、ククールと同じなのかも・・・・)
ふと、そんなふうにも考える。
似ていないようで似ている異母兄弟。詳しいことはしらないが、ひょっとしたら、マルチェロも、満足な愛情を母親から与えられたことはなかったのかもしれない。
だとしたら、マルチェロも可哀相な男だ。あの嫌味のかたまりのような性格は、幼い頃のかなしい境遇が作り出した産物といえるだろう・・・・今頃気づいても遅いけれど。
「・・・・じゃあね、おやすみなさい」
彼女はきびすをかえした。
もういいだろう。明日になれば、すべては元に戻っているだろう。
「ゼシカ」
部屋の扉を開けて廊下へ出ようとしたところで、後ろから声が飛んでくる。
ランプの炎に照らされて、立ち上がった彼の、長い影が床に落ちた。
「何?まだ何かあって?」
振り返って、先ほどとは別人のような力をもった目を見つめかえして、彼女は少々身構えながら問うた。このぶんではまた例のごとく、くだらないことを言ってくるにちがいない。
が、次に耳に飛び込んできたのは、当たり前のようでいて意外な一言だった。
「ありがとな」
やわらかな澄んだかがやきをはなって、瞳がわらった。
見上げた先には、一分のかげりもない少年のようなまなざしがあった。
(あ・・・・・・)
思わず、彼女は息をのんだ。
おそらくこれが、日常では奥底に沈んで表面には滅多にあらわれない、彼の魂のかたちなのだろう。
「・・・おやすみなさい」
とっさにはなんといっていいかわからず、片手をふって、挨拶だけを残してあわてたように扉をしめる。
嬉しかった。
わけもなく嬉しくなった。
(・・・・いったい私も何やってるのかしら?)
数歩歩いて、自分の部屋の扉の前で足を止めたゼシカは、そう自問した。
ヤンガスなどは気を遣って、しばらくククールはそっとしておこうと言っていた。しかし、己れのやったことはまったく逆である。
そもそも、夜中に男の部屋に行くなどというのも不作法きわまりない。礼儀作法に厳しいリーザス村の母が聞いたら、泡を吹いて卒倒するだろう。
ただ。
昼間の彼の様子はあまりにもかなしかったから。
心の悲鳴が聞こえたような気がしたから。
(つい、ね。つくづく私もお人好しね。エイトに似てきちゃったのかな?)
ーーーー兄貴!
あのとき、ククールのはなった語はかつての自分の叫びに似ていた。リーザス村の東の塔。大好きだった兄、サーベルト・アルバート。
そして・・・・傷ついた兄を追う悲痛なククールの表情。
放っておくことができなかったのは、彼には、ありし日の自分の姿をみた気がしたからかもしれない。
fin
(おまけの話へ)
*ゴルド崩壊イベントもククゼシには重要なポイントだと個人的には思っています。
こんなふうに信頼関係が育まれていったらいいなという私めの希望です。
副題:そしてふたりは恋に落ちる・・・・わけはないですね(^_^;
ククゼシは基本は掛け合いですので、話を甘くするとかえって逆効果になりますし、
キャラを壊すことにつながると思いますので、これが限界です。
DQ4・クリアリのような甘々話を期待された方がいらっしゃいましたら、ごめんなさいm(__)m。