「・・・・なんでかな」
馬車の横を歩きながら、彼女はふとつぶやいた。
広い草原の真っ只中、一本道の行き着く先はまだ見えない。
「ゼシカの姉ちゃん?」
「ううん、別に。独り言よ」
悪党のような面構えとは相反した、ひとのよさげな雰囲気をもつ男にむかって彼女は首をふった。
馬車の御者台には、緑色の小柄な魔物がいる。実はこの魔物は人間でさる国の国王、馬車をひいている白い馬は王女、そしてふたりを気遣うように、常時そのすぐ脇を歩いている黒い瞳の青年は魔物の国王の家来であって、ドルマゲスなる道化師によってかけられた呪いを解くために、彼を探す旅にでたという。
今、話しかけてきた人相の悪い男は、呪いとは直接は関係がないらしいが、生命を助けられたとかなんとかで行動を共にしている。
(それはいいんだけど・・・・)
問題は、一行に新たに加わったひとりの人間だった。名はククール。華やかな雰囲気に見事な銀髪、整った面立ちが否が応でも人目をひく男である。
べつに、容姿が問題となっているわけではない。ほかにある。
旅をしている目的は同じだから同行するのは当然とはいえ、彼が一緒にいる、ということが、いまだ自分のなかで消化しきれていないのは、生理的なものだから、といっていいのかもしれない。
「悩みでもあるんだったら、俺が相談にのるぜ」
胸のうちを見透かしたように、元凶の青年がすぐ後ろから聞こえてくる。口調のなかに、親身になって考えようという気持がかけらも感じとれないのは、この男の人柄によるものか。
「そんなものないわ。もしあったとしても、誰があなたなんかに相談するもんですか」
振り返った彼女は皮肉まじりに応じた。
「それはまた酷い言い方だな。俺は聖堂騎士だぜ。ドニの町あたりじゃあ、よくご婦人方の相談を受けていたもんだ」
得意げな返事に、ますます胸が悪くなる。
彼がどんな回答を返していたのか・・・・いや、相談ごとの内容などはほとんどきかずに、二言目には口説き文句をささやいていたに違いない。
「あらそうだったの?酒を飲んでイカサマをする聖職者なんているわけないから、てっきりごろつきかなにかだと思ってたわ」
「ゼシカさんはいったいどこを見てるんだ?こんなに見目麗しいごろつきがいるか?」
「そうね、たしかに顔も性格もそぐわないわよね。聖職者には特に。だから、聖堂騎士団をクビになって、修道院から追い出されたんだったわね」
我ながらどこぞの嫌味男のような言い方だとおもいながらも、どうにも言葉は止まらない。
「なんか誤解があるみたいだな。俺はさ、修道院は出てきたけど廃業はまだしてないぜ」
「ふーん、そう。でも私は、あなたに話す気は全然ありませんから。あなたに相談するくらいだったら、家の柱に相談するほうがまだましだわ」
証拠とばかりに、手袋をはずして、聖堂騎士団員の指輪を見せにかかる相手の動きを封じるように、彼女はさらに言葉を重ねた。
語調がきつくなっているのは自分でもわかるが、こればかりはどうにもしようがない。
とにかく、何から何まで気に障るのである。
『何もそんなに目くじらたてんでもいいでがしょうが。アッシの目からみても、あのククールとかいう兄ちゃんの剣の腕は相当なもんだ』。
いつだったか、彼が加わって間もない頃だったか、見るに見かねたのか、ヤンガスというこの山賊くずれの仲間は、凶悪な面をしかめてそれとなく話しかけてきた。
ククールとは、共に旅をすることになってもなんら不都合はない。それどころか、彼は、道々出現する魔物に対抗できうる力を持っている数少ない人間である、貴重な戦力といえよう。
(……わかってるわよ。どんな人格でも戦力は戦力・・・・)
自分だとて、それが理解できないほど愚かではない。総合的にみれば、いけすかないとはいえ、彼の加入は大きな加算である。
(・・・・でも、気に入らないものは気に入らないのよ)
軽薄という語が服を着て歩いているような青年。女性と見るや声をかけ、飲酒に賭け事は当たりまえ、人生を舐めくさっているとしか思えない言動は目にあまる。
「家の柱か・・・・ま、いいけどな。だけど、柱が相手じゃ答えはなんにも返ってこないって」
「わけのわからない答えをされるよりはいいわ」
「俺もずいぶん・・・・っと、おいでなさったか」
「!」
唐突に、話は中断した。
会話の応酬をしている場合ではなかった。風が、魔物の気配をつげている。
これさえなかったら。
と、彼女は頭の隅でおもった。
ところかまわず現れる魔物たちを倒すためには、こちらの人数は多いほうがいい。逆に魔物さえいなかったら、ククールと旅をともにしなければならない必要性は半減する。
難しいところだった。
「ゼシカ」
「わかってるわよ!」
促すような声音に即答して、馬車を背にして走り出す。
郊外に魔物が出没するようになったのは、最近のことだった。今では数も急激に増えたようで、昼間でも武器を持たずに野を歩くのは、自殺行為に等しいほどになっている。
「・・・・はじめて見る魔物様だな」
足を止めて武器を構えた青年の口から、ぽつりと言葉が漏れる。道を進めば進むほど、故郷から離れれば離れるほど、次々と知らない魔物が行く手を塞ぐ。
退くわけにはいかない。魔物に背を向けていては腕はみがけない。
強くならなくちゃ。
とは、常々おもっている。
強くなければ、ドルマゲスは倒せない。兄の仇など討てるわけがない。だから・・・・
「・・・・行くぞ」
短いかけ声がひびいて、青年の握る剣が一閃する。
風が、流れた。
「!」
鈍い音とともに魔物のひとつが、音もなく視界から消える。
倒された魔物がどこへいくのかは、今のところはわからない。人や動物であれば、倒されればその場に身体が残る。けれども、魔物の姿は陰形もなくなる。
彼らは魔界の住人。人間の住む世界とは異なる世界の物。生命が異世界で失われれば、魂は肉体こもごももとの世界へと戻り、転生を繰り返すのではないか、とも考えたことはある。
もちろん、憶測でしかないが。
「ーーーーーー」
にらみつけるように前方を見据えて、彼女は短い攻撃呪文をころがした。
得意としているものは魔法。武器を本格的に握るようになってからまだ日が浅いせいか、遭遇戦においてはつい魔法を頼る。
が。
(えっ?)
攻撃魔法を放った次の瞬間、彼女は我が目を疑った。
正面にいる異世界の生物の前で、渾身の力をこめた魔法はかき消えたのである。
「嘘っ!どうして!?」
当惑のつぶやきが自然に口をつく。
こんなことが、あるのだろうか。
(はずした?!ううん、だったらもう一回・・・・)
「姉ちゃんッ!」
もう一度同じ呪文を唱えてみようと決めた途端に、そばから厳しい声がとぶ。
「何・・・・」
「避け・・・・」
せっぱ詰まったようなヤンガスのよびかけが耳に届くのと同時に、視界が急激に暗くなる。
(何これ・・・・?)
そう思ったのが最後だった。
意識が、とんだ。
ーーーー魔法は万能ではない。
というのは、知っている。
雷をよび、炎をよび、風をよび、相手を混乱に陥れ、眠らせる、数多の種類の魔法。強力な魔法になると、一撃で生命を奪うもの、一瞬で魂をこの世に蘇らせるといった類のものまである。
『でも、相手によっては効かない魔法もあるんだよ、ゼシカ』
教えてくれたのは兄だった。
『そうなの?私にはよくわからないわ』
『効かないどころか、反対に呪文がはねかえされて、相手にかけた魔法に、自分がかかってしまうということだってあるみたいなんだ』
ドルマゲスに殺された兄は、時々、夢のなかにあらわれる。微笑みとともに、諭すように話をしてくれる。
『兄さんにはそういう経験があるの?』
『いや・・・・実は俺もよくわからないんだ。実際に魔法を使ったこともそんなにないしね。これは聞いた話なんだけど・・・・』
『兄さん?』
『・・・・・・・・・・・・・・・・』
「サーベルトにいさ・・・・」
兄の微笑が唐突に消え、視界が明るくなる。
見えたのは青い空。
続いて、太陽を背景に、こちらをのぞき込んでいるふたりの顔が目に入る。
「エイト?…ヤンガス?」
「ああよかった。気がついて」
目を細めたのは、緑色をした国王の、臣下の青年だった。
「私、どうして・・・・あ、魔物は!」
「心配ねえ。アッシらで退治しちまったんで」
太い声は元山賊である。
「魔法が跳ね返ってくるとは思わなかったでがすよ。それにあんな一撃食らっちゃあ、アッシだって倒れてたかもしれねえ。ましてゼシカの姉ちゃんじゃあ・・・・」
「ごめんゼシカ、僕も油断していた」
「・・・・・・・・・・」
彼女は、二の句が継げなかった。
「・・・・どういうこと?」
ゆっくりと身を起こして、二、三度頭を横にふる。ふたりの言っていることがいまひとつ理解できない。
「えーと、つまり姉ちゃんは、魔物にやられて、今までここに倒れていたってことで」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
短く語るヤンガスの言葉をきいて、彼女は黙り込む以外になかった。
つまるところ、放った魔法が反射されたうえ、魔物に強力な攻撃を見舞われて、自分は気を失っていたらしかった。
「私・・・・」
ぽつんと口を開く。
ひろがった視界。両脇で地面に両膝をついているふたりの仲間の後ろには、魔物の王の姿と馬車もある。
「具合はどんなもんでがす?」
「うん、平気よ。何ともないわ」
「ならよかった」
「私もちょっと油断してたみたい。かえって迷惑かけちゃったようでごめんね。でも・・・・ありがとう」
みるからに怖い容貌をもつ男にむかって、彼女はぽつりぽつりと言葉を継いだ。
魔物とのたたかいでは、一瞬の隙が生命とりになる。
わかっていたはずなのに、つい失念していた自分が少々情けない。
「別にいいんでがすよ、ね、兄貴?」
「そうそう。礼ならククールに言ってやって」
「え?」
みたび、彼女は目を見開いた。
「ここらへんには教会なんかなさげだし、万が一、ゼシカの姉ちゃんが腐って・・・・」
「ヤンガス」
やんわりと、青年が話を遮る。気遣いであろう。
(私、そこまで・・・・そういうことだったの)
ようやく、彼女は全容を悟った。
単に気絶していたという程度の話ではなかった、それどころか、一時的とはいえ、自分の魂は地上を離れていたらしい。
復活には、甦生の魔法が必要になる。ただし、甦生呪文も使用者と時間に限りがある。甦生魔法が使えるのは聖職者のみに限られ、また、生命が失われてから時間が経ちすぎて、魂が戻る先の肉体が朽ち落ちてしまえば、いくら呪文を唱えても効能はない。
(甦生魔法・・・・・・・・そう、だったのね)
確かめるようにくりかえす。
この呪文を使いこなせるのは、仲間のうちではただひとり。
「最後はククールが呪文の一撃でしとめたんでがすよ。さっきの魔物もはじめて見やしたが、そういやあ、ククールの兄ちゃんのあの魔法もはじめて見やした。あんな魔法もあったんでがすね」
「たぶん、致死呪文っていうのだろうね。僕もはじめて見たよ。・・・・って、あれ?ククールは?」
「あり?いねえ。さっきまでそこにいたはず・・・・」
「・・・・よいしょっ、と」
半ば説明をするかのように感想を述べあうふたりの会話を聞きながら、彼女は立ち上がった。
快い風が、髪をなぶって抜けてゆく。
「待たせて悪かったな」
不意に、背後からまた知った声音がひびく。行方をくらましていたその青年が、戻ってきたのだろう。
「お、いったいどこに行ってたんだ?」
「野暮用さ。って、それよりゼシカは大丈夫か?」
「大丈夫よ。ありがとう」
言葉すくなに彼女は答えた。
彼についての違和感が、これで消えたわけではない。が、助けてもらったことはおそらく事実であろうし、感謝すべきところは感謝せねばならないだろう。
「たしかに、見たところ大丈夫そうだな。じゃあ行こうぜ」
長身の青年は片目をつぶって、続けた。
「でもまあ本当のことをいうと、俺としちゃあ、レディには魔物退治なんてさせたくないんだけどな。せっかくの綺麗な肌に、キズなんかついたらもったいない」
(そういう問題じゃないわよ!)
やはりこの男はこういう人間なのだと再認識して、彼女は相手を見上げた。人柄がそうそうかわるはずもなかった。
(傷を負うのはしかたがないじゃない。それよりも、強くなるほうが先よ。一日でもはやく、兄さんの仇を討ちたいんだから)
腹立たしかった。
今まで彼のまわりにいた、あるいは普通に生活している一般の女性に対してであれば、彼の言い分もあてはまらないことはない。
しかし、自分には使命がある。悲願といいかえてもいい目的のためであれば、何を犠牲にしても厭わない。
もっとも、彼だとて、親代わりであった修道院の院長をドルマゲスに殺害されているのだから、こちらの気持ちがわからないということはあるまい。
なのになぜ、彼はこんなことを言うのか。
「はいはい、もう勝手に言ってなさい」
ククールとは思考回路が百八十度違うのだという結論に達した彼女は、まっすぐに、相手の空色の目を見つめて言い放った。
そういえばいつだったか、敵討ちなんか適当にやればいい、というようなことをも、この男は言っていた。
(なんで私は、こんなやつと一緒に旅してるの?)
いくらかの感謝は、ほんのわずかの間に水泡と消えた。もはやあきれるなどという次元ではない。失望であった。
『助けてもらったお礼と今日の出会いの記念に。・・・・その指輪を見せれば俺に会える』
はじめて会った時の風景が脳裏をよぎる。自己陶酔が入っているのではないかとも勘ぐりたくなるような台詞の数々。噴き飯ものの台詞を臆面もなく口にできる常人ならざる神経。
ことごとくが、良いとはいえない印象であった。
「・・・・行きましょ、エイト」
そっぽを向いた彼女は、もうひとりの、自分と同じような年頃の青年に話しかけた。
これ以上ククールと話していても時間の無駄であろう。気分も悪くなる。
「え?ああ、うん」
「ゼシカの姉ちゃん、なんでまたそんな急に?」
「ううん、時間が勿体ないって思っただけ。先を急ぎましょ」
催促するようにそう答える。
「それもそうだね。・・・・行こうか」
漆黒の瞳をもつ青年が同意して、なにごともなかったかのように馬車が動き出す。
「・・・・・・・・・・・・・・」
ふきわたる風。流れる雲。
真上にひろがる空とはるかにつづく草原のなかに、車輪の音がきえてゆく。
「・・・・ゼシカ」
「何?」
前をむいたまま、彼女は返事をかえした。よびかけてきたひとのほうを振りむくまでもない。
「俺が考えるに、つまり、俺たちが魔物と戦わなきゃいけない原因をつくったのは、ドルマゲスだ。だから奴を追って旅を続ける限りは、どうしたって魔物と戦わなきゃならねえ」
「だから?」
またろくでもないことを言いはじめるのだろうと予想して、あまり気乗りせずに応じる。
ククールの話は、まともに聞くだけ損をする。
というのは、自分のなかで半ば常識となりかけている概念である。
「だけどさ」
「・・・・・・」
「ひとが死ぬのはまっぴらだ」
「!」
おもわず、振り返る。
ーーーーオディロ院長のときのような気分は、二度と味わいたくねえな。
そんな言葉が聞こえたのは、風の悪戯によるものだろうか。
「・・・・魔物退治も楽じゃないな。とかいっても、あの窮屈な修道院にいるよりはよっぽどましだ」
早春の空のようないろの瞳が、一瞬、すさまじいかがやきをみせたのは目の錯覚に違いない。まばたきをして、改めて見た先にあったのは、いつものような自信にあふれた表情と楽しげにゆがむ口元だった。
「・・・・・・・・・・」
「突然立ち止まったりして今度は何があったんで?まだどこかおかしいんじゃ・・・・」
「う、ううん、何でもないわ」
ヤンガスの怪訝そうな問いを遮って、首を軽くふって歩き出す。
(私、もしかして、すごい誤解をしてた?・・・・)
「・・・・ま、いっか」
疑問は風のなかにうち消して、彼女はふと空を見上げた。
旅は、つづく。
(後編に続く)
*DQ8初書きなので至らぬところがありましたらお見逃し下さい。
最初、ゼシカはククールをものすごく嫌ってますよね。なのに後半、素直に彼に庇われたり(ゲモン戦)、
素直に彼の手をとったり(煉獄島脱出時)してますよね。萌え〜!(;´Д`)ハァハァ
そんなふうに、徐々に彼女の心境が変化していく過程をのそのそと書いてみたいと思っております。
ククールは時折ぼろっと漏らす本音の部分の台詞が好みです。
彼の一人称はゲームでは全部カタカナになってますが余り好きでないので改めさせて頂きました。ご了承下さい。